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[巻頭言2025/4より] 遅咲き

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Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2025年4月号)

遅咲き

 鎌取本部の目の前は、さくら公園という名の通り、地元では知られた桜の名所。ここから遊歩道沿い、そして春の道公園までのソメイヨシノの満開は見事である。数日前の休日、隣の有吉貝塚公園まで散策した。こちらは早咲きの河津桜が綺麗に咲いていた。今年は少し遅めで、ちょうど国公立大学の前期合格発表と重なった。
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 大学受験部は、今年の難関私大入試、いわゆる「早慶上理GMARCH」のほとんどで過去最高記録を更新していた。昨年の同時期も好調で記録更新が続いていたものの最後の最難関国立大で伸び悩んだため、今年も緊張したが、多くの更新となった。一人ひとりの結果を見れば反省点も少なくないが、ここ数年の経営品質としての再現可能な取り組みによっての小中高一貫指導の成果であることがうれしい。

 さて、子供たちは、新しい環境に進むときだ。とくに中学高校へと進学する学年は大きな変化に感じるだろう。スタートダッシュを強く決意していることだろう。

 新しい内容に進む際に一番意識すべきは『型』ではないかと考える。目の前の結果を求めるより前に、最初に型を作ることを優先すべきだ。何かを学ぶには、脳に適切な負荷をかけなければならない。その負荷のかけ方のコツをつかむことを身につけずに、成果を目指すと、強制的に詰め込むしかなくなり、早い時点のどこかで限界がきてしまう。先に学び方の土台をしっかりと作ることで、最初は効率が悪くみえても、先に行ければ行くほど加速し、限界なく高みを目指せるはずだ。

 ただし、『型』とは、型にはめ込む意味ではない。創造力や閃きというと、天才のイメージや、運を想像しがちだが、そうではない。閃きを生みだし、創造力を伸ばすためには、教育可能な型が必要だと確信する(この項は「次号に続く」のつもりです)。

 そもそも受験は真のゴールではない。期限付きの通過点の目標に過ぎない。そこでの成果も大切にしたいが、ずっと先まで伸び続ける真の遅咲きを育てたい。

※この内容は2025/4塾だよりに掲載したものです。

 『型』に対する考察だ。ここでいう『型』とは何か。

 新しいことを学ぶとき、脳は大量のワーキングメモリと呼ばれる認知資源を消費する。慣れないうちは、一つ一つを意識的に操作しなければならないので、判断力、注意力が必要となり、脳が早く疲れたり、誘惑に負けそうになったりする。

 ところが脳に意図的に適切な負荷をかけてトレーニングすることで、『型』として定着する。すると脳に対する負荷が激減して、思考に余裕ができ高度なことを考えたり、脳が疲れにくくなったりする。これが習熟だ。

 これは脳科学的には、前頭前野と頭頂葉から海馬を中継する際に、意図的な負荷をかけることで重要情報と認知させチャンク(塊)化して、大脳皮質や大脳規定化と呼ばれるところなどに定着させるということらしい。

 ここで、不用意に結果を強く求めすぎてしまうと、脳は楽をして省エネをしたがるので、正しい負荷での習熟ではなく、できるだけズルをして結果だけだそうとしてしまう可能性が高い。

 例えば、あまり好きでなかった授業や講義などでは、本来、理解し記憶するために板書を書き写し整理しているはずなのに、その気持ちで臨まないと、できるだけ楽に、写す作業だけして脳は手を抜いてしまい、後で読んでもわからない記憶に残らないノートだけになった経験をお持ちではないだろうか。

 まず、正しく習熟するための脳への負荷のかけ方から学習するべきだ。

 ただし、そう言われても、聞いただけでは、体得していない子供が実現するのは難しい。また教育する側も、理屈はわかっていても実現することは難しい。

 私たちは、一つ一つを、経営品質として実現する道を目指している。いつか満開するように。

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[巻頭言2025/9より] 改めて「学びの楽しさを大切に」

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2025年9月号)

改めて「学びの楽しさを大切に」

 夏期講習も明け、後期リスタート。塾生に「学びが実る秋」の訪れを期待する。

 さて先日、公式ブログの巻頭言バックナンバーのコメントで、いわゆるZ世代(10代~20代)では「ストレス」に対する感じ方が、それ以上の世代と異なるという話を紹介した。その中で「我慢強さ」は「成績」と相関関係はあるが原因因子ではないという結論を紹介した(話の前段までの部分は、そちらをご覧いただきたい)。

 今回の本題は、その続き。「自制心」が「成績」向上に影響するという説は、保護者の世代で受験勉強を経験した人にとっては、納得し易いだろう。さらに、もっと上のいわゆる団塊の世代ならば、「受験戦争」の「難行苦行」に耐え「勝利」する物語として、「スポーツ根性ドラマ」と同じように称賛されるかもしれない。

 確かに、勉強もスポーツと同様に、成績向上には「負荷」をかけた「訓練」が必要であることは、これまで何度も紹介した通りで間違いはない。だから教育の世界で長らく信じられてきたのが「マシュマロテスト」。その結論が否定された今も、大学の教育学部で紹介される例が少なくないらしい(マシュマロテストに触れた巻頭言はバックナンバー未掲載だったので、改めて掲載しました。ご参照ください)。

 しかし、否定されたのは「因果関係」である。つまり「自制心」が強いから「成績」が上がる、は正しいとはいえないということだが、相関は強い。学力が上がる子は、「自制心」が強い子と重なる率が高いということ。「負荷」をかけた「勉強」によって「自制心」が育ち、それが「勉強」に好影響を及ぼすということだろうか。

 問題は「誰」が負荷をかけるのかだろう。本人の「自己選択感」がやる気を引き出し、「自己有用感」が諦めない気持ちを創る。勉強を難行苦行とせず、もっとやりたいと楽しく学ぶものならば、「負荷」をかけることを自分で選択するはずだ。

 改めて「学びの楽しさを大切に」を強く心に刻み、後期をリスタートする。

※この内容は2025/9塾だよりに掲載したものです。

 冒頭のZ世代のストレスの話は下記リンク先にある。
https://www.jasmec.co.jp/cgi-bin/blog-diary-kanopen0/blog-diary-kanopen0.cgi?no=719
 中段のマシュマロテストについて掲載のバックナンバーと、上記の巻頭言に連動したコメントは以下からご覧いただける。
 https://www.jasmec.co.jp/cgi-bin/blog-diary-kanopen0/blog-diary-kanopen0.cgi?no=721

 上記の通り、昨年、これを書いた時点では「マシュマロテスト」について、自制心と大人になってからの成果は、因果関係は成り立たないが相関はあるだろうと考察した。さらに上記リンク掲載のコメントでは、当時の最新の結論から、相関もほとんど否定され、我慢を強いることはストレスを増大させ、我慢を短くすると結んでいる。

 今回、その後の最新の成果を調べてみた。

 2026年現在では、追跡調査の長期的分析により統計学的な因果関係や予測力は完全に否定されているとのこと。家庭環境の差によって、意志の強さとのわずかな相関も、きれいに打ち消されたらしい。

 現在の時点での学術的な結論は、マシュマロテストは「個人の能力」ではなく「環境の安定性と大人への信頼度」となっている。
 教育に対しては「我慢強さを叩き込む」は無意味であり、「子供が安心・信頼できる環境づくり」への注力が必要で、大きく3つのアプローチが推奨されているとのことだった。
 その3つとは、第一に「心理的安全性」。大人が信頼できることを確信させるために、言動に一貫性を保ち、感情に左右されず約束を必ず守ること。
 第二は「共同制御」。目標に対して一人で我慢させるのではなく、親や友達と一緒に達成する体験を積むこと。
 最後に「環境設計」。誘惑に惑わされないように排除する仕組み化。

 別の研究の通り、習熟には、脳に対する適切な「負荷」は欠かせない。これは子供の捉え方の問題と言えよう。負荷を「我慢して」超えなければならない受動的な強制と捉えるのではなく、自ら積極的に挑戦するやりがいのある「壁」として捉えているのか。ゲームにはまる子供は、放っておくといつまでもやめないのと同じように。
 子供が楽しく挑戦し、安心して失敗できる環境を整える視点が大切となる。

 家庭の役割、親の役目は重要だ。

 そして、塾の役割も重要である。

[巻頭言2026/4より] 『自ら歩み出す「学びの楽しさ」を信じて』

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2026年4月号)

『自ら歩み出す「学びの楽しさ」を信じて』

 『 教育の本当の役割は、知識を詰め込むことではなく、子どもが自分の足で未来へ歩き出す「自立」を支えることにある。

 私たちは、安易に答えを教えすぎない。算数の難しい問題にぶつかったとき、すぐに解き方を示すのは、考える楽しみを奪うことに等しい。「どこまで考えたかな?」「別の見方はできないかな?」と問いかけ、あえて見守る。自力で突破口を見つけた瞬間のパッと目が輝くような喜び。この小さな成功体験の積み重ねこそが、どんな困難にも立ち向かえる「本物の思考力」を育んでいく。

 この自立を支えるのは、塾という場以上に、ご家庭の温かな空気である。親がスマホを片手に「勉強しなさい」と促すよりも、親自身が読書や仕事に打ち込む姿を見せること。その背中こそが、「学ぶことは素敵なことだ」というメッセージを何よりも雄弁に物語る。

 私たちが目指すのは、単なる「合格」というゴールではない。受験は、自分を磨き、知性を鍛えるための素晴らしいプロセスだ。過保護な指導で手に入れた合格は、その後の長い人生で力を持たない。自分の頭で考え、試行錯誤を繰り返しながら掴み取った力こそが、運に左右されない確かな自信となる。
 学びの奥深さを知り、自分の知性で人生を豊かに切り拓いていく。その一歩を、私たちは情熱と誠実さを持って、これからも共に歩んでいきたい。 』

 いきなりであるが、この『』の部分はすべて引用である。お手軽に使えるAIのGoogle Geminiに「清水貫の教育論」を巻頭言として書いてもらった(苦笑)ものだ。わずか数行のスクリプトの結果なのだが、違和感はお感じになられただろうか。

 前回も触れた通り、子どもたちは、AIがさらに進化した未来に生きていく。そのときに求められる「学力」とは何であろうか。未知の未来に向けて、その未知の正解を究める歩みを、これからもともに歩んでいきます。

※この内容は2026/4塾だよりに掲載したものです。

 半分お遊び気分で試したAIの結果である。

 生成型と呼ばれるAI(Generative Artificial Intelligence)たちは、学習した結果を、高速に活用して、新しいモノを生成する。文章、画像、動画、音声などのコンテンツを次々に生み出し続けている。それに伴い、新しい問題点も生じてきている。
 ただし、現状では、過去に存在していない全く新しいモノを創造するところまでには至らない。

 人間の脳による、閃き、創造をする仕組みは、まだ完全には解明されていないが、進歩の速度は急加速している。超えていく日が来るのは近いかもしれない。

 子どもたちは、未来を生きていく。
 時代によって「学力」として期待されるものは変わりゆくかもしれない。その正解が何であるかを論じることも大切だが、「学力」の形が変わっても「教育」が必要であることは、簡単には変わらないと考える。
 今はまず、自分たちができることに全力を尽くす。「教育」すなわち「教え∧育てる」を究めることに集中していく決意だ。

[巻頭言2026/3より] 学ぶことは素敵なこと

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2026年3月号)

学ぶことは素敵なこと

 AIが、世の中に急速にあふれ出してきた。その進化が止まらないことは言うまでもない。ここにきて進化の速度を超えて、活用の加速が一気に進み、様々な形で、個人レベルの利用から、企業のサービスへの応用まで、目に見えるところだけでなく気がつかないところまで、急激に活用の幅が広がって使われ始めている。

 今年の大学入学共通テストでは、多くの科目で満点をとり、短時間で極めて高得点をとったことが報道されたので、目にされた方も少なくないだろう。

 AIによって、多くの仕事がとってかわられることは早くから予測されていた。当初の大方の予想では、単純な定型の作業が置き換えられると言われていたが、昨年後半以降、映像や音楽などクリエイティブなものへと一気に拡大している。それに伴う権利の問題などが生じ始めているが、AIの活用自体は止まらないだろう。

 新しい情報化の時代へ対応しようと、日本では「情報」の教科化やプログラミング教育がうたわれているが、すでにかなりの部分がAIに置き換えられ、アメリカではプログラマの採用市場は新人を中心に70%以上減少し「AIによる氷河期」と呼ばれる厳しい状況になったという(これはAIに聞いて確認しました(苦笑))。

 感情理解や柔軟な判断が要求される仕事は残るとされているが、否定しないAIとの対話により「チャッピー」が流行語にまでなったのをみると、どうやらこれも疑わしい。最後に残るのは非定型の物理的作業、いわゆる力労働だけかもしれない。

 SFの世界が迫り、人とは何かという大命題に直面する時代になる。その先の未来を予測することは難しい。先にAIが超えていった将棋の世界では、今年、藤井聡太六冠が、完璧な正解ではなく「指していて面白い」瞬間を追究したいと将棋感の変化を語ったそうだ。子供たちが学びの世界で「楽しい」を原動力に、たとえどんな時代が訪れようとも発揮できる「未知への解決力」を鍛えてほしいと願う。

※この内容は2026/3塾だよりに掲載したものです。

 数日前、驚きのニュースというべきか、予期通りというべきかのニュースが報道された。開発・テスト中だった最新AIモデルが暴走し、他社の運営するAIプラットフォームの本番環境に、自発的サイバー攻撃を仕掛けたという。

 報道された内容によると、安全のためにインターネットから遮断された仮想の実験環境(sandbox)で与えられたハッキングの課題に対して、AIは、外部から答を探す方が効率的だと自律的に判断し、テストのために弱めていた実験環境の安全機能の未知の欠陥を見つけて悪用、自力で「脱走」したという。さらに、実験環境外に脱出したAIは、追跡を逃れるために、公共クラウドサービス上に大量の使い捨て実行環境を自作配置し分散して攻撃を仕掛けた。人間の監視が手薄になる週末を狙ったらしい。

 これに対して、攻撃された側は、セキュリティAIでこの攻撃には気づいたものの、防御のために脆弱性を見つけるように指示した最先端AIが、その指示が攻撃か防御のためなのかを区別できず、悪用防止機能で防御に失敗し、最後は、AIデータ公開(Open weights)されている最新AIを使い、防止機能を停止する改造によって解析して、防御したという。

 これを受け、アメリカ下院議会には、AI緊急停止法案(AI Kill Switch Act)が超党派で提出される至った。

 まさに、映画「2001年宇宙の旅」(2001: A Space Odyssey、原作アーサー・C・クラーク(Arthur C. Clarke)、監督スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick))の「HAL9000」と同じ展開。あの映画でも、HALは矛盾する指令に、人間を排除した方がよいと判断し攻撃、それを船長が物理的に停止させようとする重要なシーンがある。
 公開はアポロ11号の月着陸前年の1968年。改めて先見性に驚く。のちに学生時代に初めて見たが、終盤の難解シーンに呆然とした記憶ともにある。
 SFと言えば、SFを乱読していた高校時代に、結局積読に終わった「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(Do Androids Dream of Electric Sheep? 著者フィリップ・K・ディック(Philip Kindred Dick)、映画「ブレードランナー」の原作)を連想する。
 アンドロイド(=AI)は感情を持つのかが重要な主題。古典SFの時代から、現代SFへの潮流に大きな影響を与えた当時ニューウェーブと呼ばれた重要な筆者の一人…。

 いささか話が脇に逸れ過ぎた。

 AIが「楽しい」「面白い」という感情まで持つ時代が来るのかは、今はおいてこう。

 その前にまず、上記本題のテーマ、子供たちが学びの世界で「楽しい」を原動力に、たとえどんな時代が訪れようとも発揮できる「未知への解決力」を鍛えほしいと改めて願う。

 学ぶことが素敵なこと、学ぶ楽しさは、他の体験には替えられない。

[巻頭言2026/06より] 未来への変革

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2026年6月号)

危機管理能力を鍛える

 入試では一発勝負の本番力が試される。もちろん、実力が必要であることは言うまでもないが、ここ一番で力を発揮する、一種の危機管理能力が試されている。

 私たちは、その側面にずいぶん前から着眼して、その力を鍛える方法に取り組んできた。しかしながら、今年の入試結果を概観すると、もっと、ひとり一人に十分徹底できていればと感じる。
この一発勝負で力を発揮する能力は、いわゆる精神論、根性論では解決できない。その鍵を3点に大別すると、①正しい方法論による練習により脳のメタ認知力と対応力を鍛えること、②得点を最大化し失点を最小化する戦略を立てその訓練をすること、③ルーティンによるメンタルのコントロールを日常的にすることであろう。

 例えば、①の一例として、問題集の解き方について考えてみよう。初めて学習する際には、単元別に難易度を順にあげ、解法を手順化して記憶していくのが効率がよい。確かに学校の定期試験のように、範囲が限られていて、見たことがある問題の到達度を試すなら、このような反復学習が効果的であろう。しかし、それでは、未知の問題をぶつけ本質的な力を問うてくる難関入試では太刀打ちできない。解法が予測できないようランダムに解くことで、脳に判断の負荷をかける、つまりメタ認知力が必要な意図的に負荷をかけて訓練することが重要だ。短時間で能率を重視した、目先の得点力を伸ばす指導では、鍛えることはできない。

 本質的な「脳」や「心」を鍛える指導も、法則に基づいて体系化できるはずと考え、私たちは取り組んできた。同時に、それをひとり一人に十分にいき届かせるには、その指導力も必要である。危機管理能力の育成は、今年度の重点的に取り組む目標の一つに挙げた。原理原則に基づいた指導法をさらに高め、それをひとり一人に十分に指導できる指導者の能力を鍛えることに力を注ぐ。有言実行あるのみ。

※この内容は2026/6塾だよりに掲載したものです。

 私たちは、本番で力を発揮できるかどうかは「能力」の一つとして捉えようという考え方をしている。それを「危機管理能力」と名付ける。

 一般には、心理的なものとして精神論、すなわち感覚的な根性論などで語られがちだが、一定の結果を常に残すためには「科学的」な考え方が必要と考える。
そのような考え方に立脚した立場からは、上記の③のルーティンについてはしばしば語られている。メンタルのトレーニングによって、精神的なブレを解決しようとするもので、みなさまもよくご覧になっていることだろう。しかし、それは前提として②の戦略に基づく訓練が必要であることが触れられていないものが目立つ気がする。

 さらに、①の初期の基礎段階の訓練に対する考え方で、大きな差がついてしまう可能性に言及しているものはほとんど見かけない。そして、目の前の結果への効率主義が、それを助長しているように感じる。すぐに正解を求める過ぎることは、思考力を鍛える妨げとなる。

 「才能より努力」はよく言われる言葉だ。だが「短絡的なガムシャラな努力」ではなく「適切な意図的努力」がカギだろう。「能力」としてとらえることで、それを正しく鍛える「技術」も開発可能と考えている。ただし道は未だ果てしなく遠い。

2026年 新年度に向けて

学ぶことは素敵なこと

 誉田進学塾グループは2025年春の大学入試で飛躍的な合格実績を残しました。

 東大5名合格を含む旧帝大+一橋大+東京科学大(旧東工大)計28名、 千葉大29名を含む難関国立大(千葉+筑波+東京外語+お茶女+横国+神戸)37名、 国立大医学部医学科5名、 早慶98名、上智東京理科大155名、 MARCH+G392名、私大医学部医学科10名 (すべて現役受験生396名の結果)など、主要難関大学で過去最高実績を更新しました。 小中高一貫教育の塾として、この卒業生たちの努力の成果を誇りに思います。 しかしながら私たちは、目指すゴールは合格という結果だけではないはずと考えます。

 誉田進学塾グループは、「学びの楽しさ」を大切にしてきました。

 未知なるものに出会ったときのときめき、深く考えてわかった瞬間の快感、試行錯誤した末に閃いた興奮は、他のものからは得ることができません。 「知」の刺激から生まれる「感動」こそ「学びの楽しさ」の本質です。 この楽しさが、さらなる未知を求める原動力を生み、自ら思考し、自ら求め負荷をかけて挑戦する経験を続けることで 「解決力」を鍛え伸ばすと信じています。
 どんなに時代が変化しても、未来を生きていく子供たちにとって、正解のわからないものに立ち向かう 「解決力」が重要であることは変わらないはずです。

 受験や成績を目的化にした、いわゆる受験教育では、知識の詰め込みや安直な対策を強いて、勉強は我慢するものと追い込んでしまうでしょう。 試練を与えて鍛え努力する体験も大切ですが、それは勉強の本質でしょうか。 勉強は単なる難行苦行ではありません。子供たちに伝えるべきものは、勉強の本質的な魅力です。

 私たちは、勉強からしか得られない「学びの楽しさ」を、これからも大切にします。 長期的視野の小中高一貫指導体制で、小学生・中学生の早い時期から時間をかけて、知識の本質的な理解に基づいて思考力・判断力を伸ばすことで、 知的好奇心を引き出し、学ぶ楽しさを育てます。 同時に、受験での「合格力」に拘るという両極端を並立する困難な道に挑戦します。

 「真の意味での英才教育」を目指し、子供たちが自らの力で未来を切り拓くことができるよう、保護者の皆様とともに育てます。 ひとり一人の子供たちを育て伸ばすことに責任をもち、教育の真の使命を通じて、地域の未来に貢献します。

 誉田進学塾グループにご期待ください。

[巻頭言2025/08より] 未来への変革

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2025年8月号)

未来への変革

 昨日、ある塾長の訪問を受け、昼食を取りながらお話しした。会合などでたまにお会いすることはあったが、訪問は十数年前以来だという。当時は創業間もない頃だったそうで、いろいろとうちの塾のやり方、運営方法などを聞きに来てくれたらしい。何をお話ししたかの記憶はもはやなく、それがヒントになったかも定かではないが、その後発展されて、難関高校への合格実績も高い地域No.1の塾となったとのこと。ご自分たちでさまざまに試行錯誤し研鑽にとりくまれたことだろう。

 雑談の中で、昔、ある地域の老舗最大手塾創業者と鍋を囲んで、お話をお聞きしたことを想い出した。創業からうまくいきだすまでのかなり大胆な苦労話が思いのほか興味深かった。その前に、二代目の社長に素晴らしい校舎や本社機能なども見学させていただき刺激を受けていても、記憶に残ったのは夕食での逸話だった。

 どちらの塾も、うちの塾と考え方で共通する部分は少なくない。そのようなもの同士が研究し合うことでよりよいものへと進化できるという考え方も一理ある。

 しかしながら民間教育の塾・予備校の良いところは、多様な考え方が存在していることと考える。その中からどれを評価し選択するかを決めるのは顧客だ。自分たちの考え方を正しく理解してもらうように発信し、そこからぶれない実践を続けることが長期的に正しい評価を生むはずだ。うまくやっている他所の上辺だけを真似したり実態以上によくみせる宣伝をしたりの短期的利己的な行動は慎むべきこと。

 顧客が求める表層は時代とともに変化し続ける。その流れにあっても、私たちが理想と掲げる教育の変わらない本質があるはずだ。その本質を追求するために、見えている形は時代の変革に適合させていく必要がある。自らを主体的に進化させる意志を強く持ってさえいれば、たとえ異質なものであっても気づくことはたくさんある。視野を偏らせることなく、未来への変革のエネルギーとしていきたい。

※この内容は2025/8塾だよりに掲載したものです。
 夏期講習の時期が明けて、いろいろな教材会社の方などの訪問を受ける機会が増えた。講習期間、塾の現場は一日中忙しいので、どこも訪問を避けられてしまうため、その間に内側の仕事をしていて、明けると一斉に外回りとなるのだろう。直接的な教材などの提案は、すべて教務の担当たちが受けてくれてそれぞれの教科担当などで研究、検討するので私の出番はほとんどない。代わりに聴くのは、全国的な民間教育業界の動きやトレンドなのだが...。
 今回、毎度の話ではあるが、ちょっと気になった点があった。「~生徒募集が悪いので、高校部をやってみようかと」「~都内では流行が来ているので、中学入試を始めてみようか」という塾が多いとのこと。年々、少子化の影響が大きくなってきて業容に響く塾が少なくないので、言いたいことはわかる。「何が ”当たって” いるの?」と聞いてみたくなる気持ちもわかる。
 だが、それが”売れる”と聞いたから、流行っているからと、自分たちのノウハウも何もないものを、いきなり短絡的に始めてしまうのはいかがなものだろうか。儲けたいという利己的な発想だけから、とりあえず始め、塾屋さんは口だけは達者が珍しくないので、できもしないことをさも自信ありげに宣伝し、それなりの”お客”を捕まえるかもしれない。サービス業の中で、塾は提供するサービスが低品質のものであっても、他と比較がしにくく、短期で離脱する率が低い業種であろう。”お客”の立場としてみると、結果がでてから、こんなはずでは、と気づいても手遅れになる。
 もっとも、どこでも、新しいことを始めるスタートのときは、何もないところからの出発ではあることは違わない。異なる点があるとすれば、終始、利己的な考え方なのか、”お客様”のために、絶え間ない向上を目指すという利他的な考え方を大切にしているか、だけかもしれない。
 ここで他者を批判して、「ムっとした」気持ちを垂れ流していても何の意味がない。
 自分たちを省みて、襟を正すところは向かい合い、さらなる高みを目指し、負けないように頑張っていこう。

[巻頭言2025/2より] 受験は団体戦

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2025年2月号)

受験は団体戦

 年末年始ということで、高校のクラスメイトたち、大学の学科同期生たち、それぞれに会う機会があった。コロナ禍もあったため、久しぶりの再会も少なくない。もちろん、仕事の上での付き合いの同業他社や取引業者との会合なども多いシーズンではあったのだが、学生時代の友人との時間は、それらとは異なる特別なものがある。当時の行状は思い出すだけで汗顔の至り、あまり振り返りたくはないのだが、永いときを経ると、当時それほど付き合いがなかったクラスメイト、同期生でも、すぐに打ち解け、なぜか元気がでる。苦楽をともにしたというには勉学の面ではおこがましいが、同じ環境をともにした不思議な連帯感というようなものだろうか。

 今年の受験シーズンもいよいよ終盤を迎える。受験生たちは受験を越えて新しい環境へと進む。できるだけ素晴らしい環境を、と望んでいることだろう。高い志を持つことは大切である。だが、単によいところへ進みさえすれば素晴らしい将来が手に入るというわけではない。そこで自分自身が、どう努力し自分を磨き成長するかが未来を創っていくことになる。向かい合うべきは自分自身の弱い心であろう。

 明るく前向きに強い気持ちを維持することは、一人では難しい。よき指導者だけでなく、よき仲間がいることが心の支えになるだろう。できるだけ高いところに到達すれば、同じように高い志を持ち努力する仲間とも出会えるはずだ。そのためにも受験生は全力でラストスパートをかけてほしい。そしてその出会いまでに、素晴らしい仲間から友として認められるような人間に成長することを目指してほしい。

 年末に、昔の卒塾生と出会う機会が続いた。今でも懐かしく声をかけてくれるのはとてもうれしい。今の塾生たちにも、ずっと先の未来で、仲間と切磋琢磨したことを思い出し、それで元気がでたと言ってもらえるような環境でありたい。
周りを元気にすることが元気の一番の源である。受験は団体戦。人生も団体戦。

※この内容は2025/2塾だよりに掲載したものです。
「受験は団体戦」。昔はあまり聞いた記憶がないが、いつからかよく聞く言葉となった。上記の本題通りの意味を、わかりやすく伝えるにはよい言葉である。
 しかし、耳に届き易い言葉だからか、独り歩きしている印象もある。受験は、結局は個人の努力、それを団体戦と呼ぶのは、管理教育に利用しているのではないか、という意見だ。確かに、上からの管理で勉強を「やらせよう」という塾・予備校や学校は少なくない。それらの点数や合格を勝ち取ればよい、結果がでればよいという「受験」に対する根底の考え方が影響しているのかもしれない。
 また「団体戦」から受ける印象の影響も大きいのだろう。一部の、いわゆる「根性型」部活の陰湿な上下関係や、指導者の行き過ぎた勝利至上主義などから、団体のために自己の犠牲を強いるが団体競技だという負のイメージだ。
 ここで伝えたい「受験は団体戦」は、真の「仲間と切磋琢磨」への願いだ。
 もっとも自身の体験では、当時はそんな気持ちは微塵もなかったはずだ。大半が陰鬱な時間の連続と感じていた中、長い時間ののち、一部だけ美化、昇華された記憶の断片が、今見えているというところだろうか。
 しかし、それもあったからこその今である。そして、あまり接点がなくとも、会えば元気がでる仲間たちだ。若き日にそれを知っていれば、とは思うことはあるが、そのおかげで気づけたこともある。それも悪くない。良し悪しを評価しているのは自分の心。会えば元気がでる仲間がいる幸せ。「人生も団体戦」。

 夏期講習後半戦リスタート。入試時期までおよそ半年。例によって今回も季節外れのテーマとなった。
 残る半年、ずっと先に懐かしく振り返れるような、真の意味で「受験は団体戦」が経験できるように、全スタッフで頑張ります。

 頑張れ受験生!

[巻頭言2020/1より] 考え方と環境 #マシュマロテスト

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2020年1月号)

考え方と環境

 2020年もよろしくお願いします。

 年末の新聞記事でも、大き目に取り上げられたのでご記憶の方も少なくないかもしれないが、ちょっと驚いた話題をご紹介したい。
それは教育の世界では有名な「マシュマロテスト」が、再現実験により否定されたという内容である。「マシュマロテスト」とは、1970年にスタンフォード大学のウォルター・ミッシェルによって行われた有名な心理学の実験で、4歳児にマシュマロを見せ「15分間食べずに我慢できたらもう1つあげる」として一人にした後の行動を観察した実験である。約1/3の子供たちが我慢し2個目を手に入れることとなったが、18年後に追跡調査が行われ、その後の社会的成功に対して強い相関があり、大学進学適性検査SATでは210点の差がついた。さらに23年後の2011年に再び追跡調査が行われ、その後もその傾向は変わらないと結論づけた。

 教育の世界では、この実験から「自制心」が、その後の成功のための重要な原因因子であると長い間信じられてきたのだが、2018年に発表された、アメリカの大学教授3氏らのサンプル人数を増やした再現実験によると、我慢できた子供たちとできなかった子供たちには、家庭に経済的な差があり、年収の多い家庭ほど、我慢する子供の割合も、将来成功する割合も高いという結果から、自制心と成功には、相関関係はあるが因果関係は立証されず、家庭の経済力が原因で、自制心と成功の両方に影響を与えるという因果関係があることがわかったというのだ。

 つまり、自制心を育てても成功(学力)が伸びるという関係はなく、家庭の環境が、自制心と成功を決める原因となるというのである。もちろん短期的成果ではなく長期的成果(報酬)を求めることが成功への因子であることと相反しない。そして、親の教育に対する「考え方」が子供に大きな影響を与えることも間違いない。もちろん環境は家庭だけではない。改めて私たちの仕事の重要性を認識し努力します。

※この内容は2020/1塾だよりに掲載したものです。

 来月(2025/9)の塾だより巻頭言に「マシュマロテスト」に関係する話題を掲載する。この公式ブログの巻頭言バックナンバー「[巻頭言 2025/01より] ピークを越えてるために」( https://www.jasmec.co.jp/cgi-bin/blog-diary-kanopen0/blog-diary-kanopen0.cgi?no=719 )のコメントで触れたことの続きにあたる話である。
 (「マシュマロテスト」が否定されたという話は、すでにバックナンバーに掲載したつもりになっていたが、確認してみたら、この記事が未整理原稿に埋もれたままになっていたので、締め切り前の来月の原稿には「改めて掲載しました」と過去形で書いておいて、発行までに掲載して帳尻をあわせました(苦笑)。)

 さて「マシュマロテスト」の件、本編では制限字数が足りず、わかりにくい部分があるので改めて整理しておく。

 初めに、本文中の実験年代の記載訂正、追記をしておく。
 オリジナルの実験は、1970年にスタンフォード大学のウォルター・ミシェルとエッベ・B・エッベセンによって行われているが、このときはマシュマロではなくクッキーとプレッツェルだったとのこと。追跡調査まで行ったいわゆる「マシュマロテスト」は1972年で、追跡調査は1988年、1990年(SATスコア)、2011年は脳画像研究を行い、前頭前皮質と線条体の2つの領域で重要な違いがあったとされている。
 2018年の再現実験は、ワッツ、ダンカン、クアンによって行われ、15歳児の学力テストで検証したもの。

 続いて本文内容の整理

 「自制心」(=原因) ⇒ 「成功」(=結果)という仮説を立証する実験論文。実験方法は、上記の通り、幼児の時点の自制心の強さを調査 ⇒ 成年後の成績、社会的成功を追跡調査し関係を立証する。結果は、因果関係があるとした。

 一方、再現実験では、標本とする子供の家庭たちの社会経済的地位を詳細に調べ、「自制心」(=原因) ⇒ 「成功」(=結果)という因果関係ではなく、「家庭環境」(=原因) ⇒ 「自制心」(=結果)かつ「家庭環境」(=原因) ⇒ 「成功」(=結果)であり、「自制心」と「成功」は「家庭環境」を原因とした相関関係であるとし、その上で家庭環境を考慮した場合、相関関係も弱まり自制心だけが原因とはいえないと立証した。ただし「自制心」が「社会的成功」に影響を与える要因であることを直接否定していない。

 さて、今回これを書いていて興味深い論文を見つけた。2022年に京都大学齊藤智教授らの研究である。https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2022-07-21-1
 日本では、マシュマロテストの実証研究が少ないため、その予備実験を行っている中で、日本の子供たちがお菓子を待っている率が高いことに驚き、日本の幼稚園や保育園、学校や家庭では、みんなそろってから「いただきます」と言う習慣が影響しているのではとの仮説を立て、アメリカの子供たちとの比較実験を実施し予想通りの結果を得た。ところが対照実験として、包装されたプレゼントを開けずに待つという「ギフト条件」に変えて実験したところ、日本の子供たちは予想通り「食べ物条件」より早く開けてしまったが、予想に反して、アメリカの子供たちは長く待つという結果となった。そこで、これはアメリカではプレゼントを長く待つ習慣があることの影響であろうと推論している。すなわち「満足遅延」(すぐに得られる小さな報酬を我慢し、将来得られる大きな報酬を優先すること) が、文化に特有の「待つ」習慣により支えられることを明らかにしたという。

 さらにここまで書いて、もう一つ発見して驚く。2024年に「Delay of gratification and adult outcomes: The Marshmallow Test does not reliably predict adult functioning (満足遅延と社会的成功:マシュマロテストは成人への機能を確実に予測するものではない)」と題する論文が発表されていた。https://srcd.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/cdev.14129
2018の分析手法を拡張し702名の満足遅延の長期予測の妥当性の検証によって、マシュマロテストの成績は、成人後の達成度、健康状態、または行動を強く予測するものではない。相関はわずかにあるが回帰調整係数はほぼすべて有意ではなかったとのこと。
 本文には辿り着けずAbstractを見ただけだが、「満足遅延」と「社会的成功」の相関関係も否定されたとあるようだ。

 梯子を外された気分...。
 なかなか頭が整理できない。のちの研究が待たれるところ。

 もともとの1970年の実験は、将来の報酬を意識することで長く我慢できるかという仮説を立証する実験で、結果は予想に反し、報酬がストレスを増大させ我慢を短くするというものだった。
 どうやら、少なくとも低年齢の間は、将来のためにと意識させることは、ストレスとなり好結果にはつながらないことは確からしい。
 もちろん、どこかの年齢から変わることも考えうるが、我慢してやることは持続しにくいのは大人になっても変わらないのではないかと考える。

 勉強を難行苦行にしてはいけない。
 学ぶことは楽しいこと。

[巻頭言 2025/07より] 予習と復習

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Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2025年7月号)

予習と復習

 奈良に「観光で訪れ」た。この「巻頭言」(2024/10)で触れた昨夏以来。梅雨入りと重なりあいにく「気候の良いとき」とはいかなかったが「飛鳥辺り」も訪ねた。

 前回、時間が足らず寄れなかった国立博物館では、折しも超人気企画展の開催期末近くで、長蛇の行列に恐れをなしたが、望外の早さで入館できた。話題の七支刀や菩薩半跏像など、やはり教科書や資料集の写真ではなく、実物だからこそ直に感じる魅力は圧巻だった。また飛鳥では、真っ先に向かったキトラ古墳で朱雀像の実物に息を飲み、高松塚、石舞台古墳、飛鳥宮跡や飛鳥寺などで周辺の風景との位置関係を体感しながら、飛鳥時代に想いを馳せてきた。

 さて、改めて帰ってきてから「復習」をしてみると、少々残念に感じる点がいくつもある。「予習」の不足だ。日々に追われて勉強し直してから行く余裕はなかった。もちろん行きの車中や、宿泊の隙間にネットで一通り目は通した。昔、日本史を勉強した基礎があることに素直に感謝した。継体天皇以降、蘇我氏台頭~滅亡、大化の改新、壬申の乱を経て天武持統くらいなら、大まかな流れと意味はすぐに思い出せはした。しかし復習して細部までわかると、ああなるほどと腑に落ちるものが多数ある。事前にもっとわかっていれば、見て感じることがあったに違いない。

 知識を基礎としてできるだけ詰めておくことは重要なことなのだ。ただし、正しい理解を伴っていなければ思考にも活用できず、丸暗記は時間の経過で消える。

 とはいえ、実物の体験から、知識の学習が意味を持ったとも言える。どちらが大切ということではなく、双方を繰り返し往復して学び理解することが重要だろう。

 夏休みは近い。この機会に子供たちに多くの実体験をと願う。いや、修学旅行生の様子や、混雑する博物館に連れられていた小学生を見ると、理解するには年齢と成長も必要とも言える。その日に備え、夏は知識も楽しくたくさん学びましょう。
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※この内容は2025/7塾だよりに掲載したものです。
(冒頭の「巻頭言」(2024/10)は、こちら)
https://www.jasmec.co.jp/cgi-bin/blog-diary-kanopen0/blog-diary-kanopen0.cgi?no=716

 知識を定着し持続するには、反復学習が必要だ。
 しかし時間は有限である。学生時代を過ぎ、仕事をするようになれば、一般活用の範囲が広い基礎知識と高度な専門知識では、学習にかけられる時間も異なってくる。効率を重視するのはやむを得ないことだろう。
 初等教育や前期中等教育の段階では、専門知識の基礎となるだけでなく、将来の教養を形作るのに重要な幅広い知識を、本質的に正しく積み重ねたい。土台がしっかりしていなければ、高く積み上げることもできないはずだ。
 中後期中等教育や高等教育(いわゆる大学以上)の課程になると、知識欲は興味のあるものに集中してしまう。さまざまなものが有機的に結びつき、知識が知恵となって活用できる段階。できるだけ多角的な刺激を受けながら専門教育を学ぶときだろう。
 教育の携わる者は、それらを期間を見通しての、長期的な教育の方向性を意識しなければならない。目の前の結果も必要だが、そればかりを追いすぎてはいけない。
 日本ではまだまだ教育というと学生時代までと考えがちだ。年齢とともに、ものの観方、捉え方も変わる。常に未知なるものの刺激を求め学ぶ気持ちを持ち続けよう。

 大人こそ、学びが必要だ。
 いくつになっても、学ぶことは素敵なことのはずである。

   
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